第六回「片子が自分の力で生きる物語をつくる」
5月4日
参加者:女性2名(20代、30代)、男性(30代)、私の計4名
時間:約20~30分
展覧会を見に来た友人達と。雑談がてら、簡単に話し合ってみた回。
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まずは、ワークショップの概要と前回までの流れを説明。物語の説明を人形を用いながら行う。今回は、特にテーマが決まっていないのだけれど、どうしたらいいだろう?と相談する。特に提案はなかったので、片子を主人公とし、彼の行動や言葉に焦点を当ててみようという提案をする。そこで「彼が自分の力で生きていくにはどうすればいいか?」を考えようということに。「彼がどういう行動をすればいいか」を話し合う。
するとさっそく「片子が弟を欲しがればいいのでは?」というアイデアが提案される。そして2人は生き別れになり、弟は鬼ヶ島に、兄は人間の村に引き取られる、と。しかし、弟が出来たところで、物語に何か重要な変化が起こるだろうか?という話がなされる。発案者は「何か意味がある気がするのだけれど」と言いつつも、次の話題へ。
片子が鬼の側に立つか、人間の側に立つかが焦点となる。片子が人間の側に立ったから夫婦は助かったが、鬼の側に立ったら夫婦は追いつかれてしまっただろう、などと話す。そこで片子がどちらの世界を選ぶかについて話し合う。片子が「鬼ヶ島にいたい」と自ら残る選択をすれば、それは片子としては悪くない選択ではないか、などと話し合う。
また、人間の側に立った時のことを話し合うと、もしも村に夫婦と片子の3人で帰ってきた場合、そこで夫婦の間に人間の子どもができてしまったらどうする?という話になる。人間の子どもはおそらく可愛がられ、片子の立場はさらに追いやられることになるのではないか、など。
ここで、帰ってきたときに、片子は本来何も言わずに自殺したが、何か他に手段はなかっただろうか、と問いかけてみる。
お笑い芸人として生きる。半分鬼でも受け入れてくれる彼女や友達ができればいい。などの提案がでる。そこで、鬼が村に追いかけてきてしまう問題について話し合う。鬼ヶ島を出る時に片子が父親とちゃんと対話できていなかったことが問題なのではないか、と話し合う。例えば正月、盆暮れには帰るから、という話をすればよかった。つまり、片子がしっかり自立して、仲立ちをすればよかったのではないか、という話になる。ここで、では何があれば片子はそこまで精神的に自立できるだろうか?と問いかけてみる。
片子は父親である鬼を撃退する方法を夫婦に伝えて自殺した。つまり、完全に母親の側に立っている。その罪悪感で自殺したともとれる。であるならば、片子が中立の立場に立つことが、彼の自立にとっては重要なことになるのではないか、という話になる。自分の辛さを引き受けつつ、したたかに生きていければいい、といった話をして、ワークショップを終了。
以下、つくられた物語やアイデア。
片子が弟を欲しがる。弟が生まれ、兄弟は生き別れに。弟は鬼ヶ島に残り、兄は人間の村へ夫婦と帰る。
片子が鬼ヶ島に残りたがる。
お笑い芸人として生きる。
片子が鬼と人間の中立の立場に立ち、彼らの仲介をする。鬼を説得し、人間の村に自ら帰る選択をする。
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あくまで雑談程度に行ったものなので、物語としてはあまり広げたり掘り下げたりはできなかったが、片子が中立の立場に立つことが重要というのは一つ面白い視点と思った。片子の弟説についても、実は可能性のあるアイデアだったようにも思う。
こうした簡単な回があってもいいかもしれないと思った。とにかくワークショップの形式などを重視しすぎず、実現できる範囲でのやりとりを蓄積していくことにも意味があるかと思う。