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第八回「片子が自立する物語をつくる」

5月6日

参加者:女性1名(20~30代)、男性2名(30代)、私の計4名

時間:約30分

展覧会会場にて。この日が最終日であった。展覧会を見にやってきた方々と。

***

 まずはワークショップの概要や前回までの流れを説明。これまでのワークショップから、「片子が生き残るような方向で物語作りをやってきたが、彼自身の言葉はあまり聞けていない。そこで、彼が自立してゆく物語をつくってみたい」という提案をする。展覧会会場ということで、私の作品に興味を持ってくれた方だったので、非常に協力的な雰囲気ではじまる。

 説明後、さっそく一つのアイデアが提案される。「ある時、難破船が浜辺にたどりつく。そこに異国の人たちが乗っている」という場面からはじまり、この話を聞きすすめてゆく。

  • 難破船にいる人はそんなに多くなくてよい。1人か2人でもよいい。それを村人が助けてやるが、言葉も通じない。そこで村長のところへ連れてゆき、処遇について考える。そこで、片子のいる家が一時預かり人となる。そのうちに片子は彼らと打ち解け、異国人は舟を直し、片子は彼らと共に旅立ってゆく。

 という非常にまとまった話がぽんと提出される。旅というモチーフについて、今までに作られた物語の話などをしつつ、そこで起きた問題などについて話す。例えば片子が国内を旅する場合は、隣村でほとんど変わらぬ状況に出会う。しかしこの物語では違う可能性がひらけていて、完成度が高いなどといった感想を話す。

 ここで参加者と話しながら、もう一度物語のあらすじを確認しなおす。ここで「すごく尊い子どもの自己犠牲みたいな話ですね」という意見が出たので、これについて話す。自己犠牲で解決は一つだが、彼が自分の力で生き残るかたちでこれを解決できないか、という方向で話をすすめる。見世物小屋やひと目につかない生き方など、以前よくつくられた話を紹介する。

 「鬼が攻めてきた時の交渉役」というアイデアが出る。鬼と片子の関係について質問が出たので、「鬼の子小綱(片子の類話)」の一つ、<片子が鬼ヶ島へ帰る>という結末の類話を紹介し、鬼との関係は悪くはないはず、といった説明をする。

 ここで「鬼と人間との真ん中ぐらいに立てないか」というアイデアが提案される。鬼ヶ島に帰ってしまうと母親が寂しがる。といった話や、鬼が村へやってくる理由が人間にはよくわからないだろうから、鬼と話をする役割を担うべきでは?などと話す。

 ここで、「本来はできなかったこの交渉役。何が支えになれば、このように自立して役割を担えるだろう?」と問いかけてみる。

 「鬼が攻めてくる」ことが一つの条件となっている、という意見が出たので、これについて話し合う。

  • 別の国から大きな外敵がやってきた時に、鬼と人間が共同して戦う。こういう状況になった時に、交渉役になれる。

  • 鬼と大喜利をやるなど、別の勝負へと導く。

というアイデアが出る。映画「もののけ姫」みたいという話をしたりする。鬼と人間、どっちに立つか。その立場を自分で選べるなら、それは自立。つまり自分の居場所を自分で決めることが重要。といったことを確認する。そして立場を決めるには、外からの刺激が必要だという話をする。村の中にはもともと役割が無かったのだから、その役割が生まれなければならない、といった話をする。

 なんとなくまとまった感じがあったので、ここで少しまとめのような話をする。自殺をする昔話は非常に珍しい。グリム童話には2つぐらいしかなく、それも片子のような自殺ではなく、非常に辛い出来事が原因となる自殺であることなど紹介。そしてチェコのvodnikというバラードを紹介しつつ、日本の自殺と西洋の他殺という昔話上の表現の相違点について個人的な解釈を話したりする。といったところで、ワークショップを終えた。参加者からは拍手が起きる。

 そしてその後しばらく雑談。「片子が自ら自殺を選んでいる。これも自立していると言えるのではないか?」という意見が出て、これについて話し合う。ワークショップをやっていて、夫が積極的に行動するアイデアや、鬼が出てきたときに立ち向かうという発想があまり出ないといった話をすると、「それは夫があんころもちで女房を引き換えちゃうような男という設定が先入観となっているのでは」といった話などをする。

 現代において昔話は語られていないといった話がでたので、アニメや漫画や、そういった表現に引き継がれたのではないか、という話などする。最近見た映画などを紹介しつつ、それへの解釈を話し合う。

 ここで「死んだことによって、考えることがある。だから、死ぬことによってしか表現できないことがある」という意見が出て、これと日本の文化の話などをする。

 ここでまた西欧の昔話との対比の話をする。ヨーロッパ人の昔話研究者が息子に日本の昔話を聞かせたところ、最後まで聞き終わった子どもが「それで、いつ竜を倒しにいくの?」と聞いたという、本から得たエピソードを紹介。このような昔話の場合、誰かが死ななくてはならないが、そこに自殺という発想がそもそもないという話などをし、この死の意味について考えることは日本文化を考えるうえで重要かもしれない、といった話をしたところで、終わり。

***

 参加者がもともと興味を持ってくれていたようで、とにかく終始和やかに進む。私もワークショップに慣れたのか、最後に拍手が起きたことには驚いた。非常に協力的な雰囲気ですすみ、物語と議論とのバランスのとれた回になったと感じた。

 片子の自立を考えたときに「中立の立場に立つこと」というテーマが前回に引き続きあらわれてくることが興味深かった。同じようなアイデアだが、この語られ方の違いがそれぞれの回にあり、ここに何かワークショップの可能性と難しさを感じる。

 今回の中で個人的に気になったのは、夫が積極的に行動するアイデアが出ないという話をした際に、それは設定に原因があるという話である。当たり前の話だが、これがそこまで影響力のある要素であるということは、少し考える必要がある要素と思った。

 また、今回の日本と西欧の昔話の比較については、この片子のリサーチの中で得た河合隼雄をメインにした昔話と深層心理についての知識を用いたけれど、近代化以降に作られた物語を中心にどのような変化があるかについても調べなくてはならないなぁ、と思ったりする。


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